日本武尊能褒野墓
昼から以前から行きたかった「日本武尊能褒野墓」へ。
自宅からはクルマで10分程度のところです。
江戸時代までは鈴鹿の白鳥塚がヤマトタケルの墓だといわれていましたが
明治時代に亀山の能褒野にある前方後円墳が正式に政府により治定されました。
「足が三重に曲がったまがり餅のように腫れて曲がって戦いに疲れ果ててしまった。」
と言ったとさてています。
この言い伝えが一般的に三重県の県名の由来だとされていますが、
古代の地名は地形によるものがほとんどで、
古い四日市の群名である三重は鈴鹿川の水(み)辺(べ)の意味から~みへ~みえ~と
なったとする方が合理性があるとされているようです。