桑名から鈴鹿までサイクリング

By , 2016/12/15

今日は旧東海道と旧伊勢街道を桑名から鈴鹿まで輪行サイクリングしてきました。

輪行バッグに自転車を入れて伊勢鉄道鈴鹿10:17~JR桑名10:37。

自転車を組立て、まずは歌行燈本店で昼食、七里の渡しからスタート
途中冨田付近でボクの自転車の後輪がパンク、イオン四日市北の
イオンバイクで修理チューブ交換で3348円でした。残念。
修理してもっらてる間にミスドで一服。
14:00再スタートして15:00鈴鹿着。

気温は低かったのですが、晴れていて風もなく恰好快適なサイクリング日和でした。

次は来年になりそうですが、旧伊勢街道を鈴鹿~伊勢ですかね。

旧街道サイクリング

By , 2016/12/08

先月、井田川から関宿までの旧東海道を自転車でサイクリングをしたのですが、
今日は旧伊勢街道を神戸から追分まで行き、旧東海道杖衝坂を越えて、
石薬師~庄野~井田川までをサイクリングしてきました。

杖衝坂に立つ芭蕉の句碑

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松尾芭蕉 - 貞享4年(1687)、故郷伊賀に戻る途中、ここで馬から落ちた。そこで詠まれた句が、
歩行(かち)ならば杖衝坂を落馬かな
(歩きだったらよかったのに!馬に乗ていたから落馬してしまったよ、とほは・・・)て感じかな。

途中追分の洋食店でランチをとって総行程30km、約三時間でした。

 

次は鈴鹿峠か桑名ですね。

蕎麦空~追分~庄野~井田川~蕎麦空

井田川~亀山~関宿

奈良橿原神宮周辺散策

By , 2016/11/24

朝8:00に鈴鹿をスタートして、奈良橿原へ。

ボクと妻、次女、三女の四人で、神武天皇陵から今井町、畝傍山、橿原神宮と散策を楽しんできました。
総行程約10km、途中今井町での昼食を入れて4時間ほど。

今井町は江戸時代からの町並みを継承しており、古いお屋敷が多く存在していました。一見の価値ありです。

畝傍山の麓橿原で第一代神武天皇が天下を治めたとされるのがBC660年。
綏靖~安寧~懿徳と第四代までの天皇陵が畝傍山の周辺にあり、今日はすべて参拝してきました。

また、畝傍山にも登ってきました。地元のお年寄り達の散歩コースになっているようです。
畝傍山山頂からの眺め(中央下右寄りの小高い山は天香久山)
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ホンダTV

By , 2016/11/22

次女が社内の技能オリンピックに出場して銀メダルを受賞したらしいです。

その模様が一般の方も視聴できるホンダ社内webTVで紹介されておりました。

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折角ですからここにも載せております。

 

 

 

新そば打ち終わりました。

By , 2016/11/22

新そば打ち終わりました。
もちろん、絶賛(主観です)発売中!

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そういえば、今朝のTVで「そば.けいた」さんが紹介されていました。

正連寺湖の紅葉がきれいだそうです。

「新日本風土記」蕎麦

By , 2016/11/08

「新日本風土記」NHK BSプレミアムは好きでよく見ていたのですが、11/4の「蕎麦」は見逃してしまいました。
でも11/11(金)8:00~8:59再放送がありますので録画予約を済ませました。

日本全国のその風土にあったそばがあるんですよね。
ああ全国「そば」めぐりがしたいな~

ご興味のある方はご覧になってください。

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新そばご提供開始しました

By , 2016/11/06

今週から「新そば」をご提供しております。

弊店では開業以来いわゆる二八そば(小麦粉2割・そば粉8割で打ったそばのこと)をご提供しておりましたが、本年春から九一そば(小麦粉1割・そば粉9割)にてご提供しております。

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また、写真のそば粉の袋に記載してある「蓼科」というのは製粉会社での製品名、「荒挽30番」というのは30メッシュのふるいを通った粗挽きのそば粉を表しています。

ちなみに30メッシュというのは1インチ(25.4mm)四方に30の網目があるという意味で、糸の太さもありますので目の開きはおおむね0.6mmの粒を通すということになります。通常のそば粉は50-60メッシュで0.25mmくらいの粒ですから、30というのはかなり粗いですね。

粒子を粗くする最大の理由はそばの風味(香り)を引き出すことです。通常粗くするほど香りが強くなっていきます。
またつなぎである小麦粉の量が少ないほどそばの風味も強くなります。しかし十割にすると非常に切れやすく食感もやや粗くなりすぎるので一割の小麦粉を入れているわけですね。

新そばのフレッシュな風味をお楽しみください。

冬季版「季節のおすすめメニュー」

By , 2016/10/22

なんと5か月近く投稿しておりせん。
申し訳ございません。
今週の金曜日から冬季版「季節のおすすめメニュー」をご提供しております。
今日はやや肌寒い気温だったためか、沢山のご注文をいただきました。
温かいおそばもおいしいですよ。
なお、新そばは来週からご提供開始する予定です。
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ところで今日ご来店のお客様が県内他市のそば屋に立ち寄った際に、
そこの店員さんに次のようなことを言われで、やや憤慨したよと
おっしゃておりました。他山の石とすべし、ですね。
クルマのナンバープレートを見て
「鈴鹿からわざわざお越しになったんですか。鈴鹿にはおいしいそば屋がないですよね。」

「鈴鹿にもおいしいそば屋がありますよね。」と言われるよう精進させていただきます。

もう五月のGWが終わった。

By , 2016/05/09

光陰矢の如し、でしたっけ?
英語ではTime flies.らしい。
月日の経過するのはあっという間だな~

ということで、我が家の末の双子はそれぞれ県立工業高校と商業高校に入学し、
ひと月が経ちました。高校生活にもだいぶ慣れたようです。
上の三人の姉たちと違って二人とも体育系のクラブ活動をしています。

今週末は姪の結婚式で静岡に家族全員で出かけます。
今年の家族旅行になりますね。

田久保という苗字の由来

By , 2016/03/11

昨年11月祖母と母の法事で帰省した際、厳木町天川のバス停「田久保」を家族全員で見に行ったのですが、IMG_20151103_074416
田久保という苗字は結構珍しく、発祥としては佐賀千葉県匝瑳市(そうさし)の限定された地域でしか見られません。(2017.08.31追記 匝瑳市にもバス停田久保がありました!「匝瑳群誌」に見える田久保地区。)

そこでこの「田久保」という苗字の由来を調べてみました。
まあ、田久保家以外の方々には興味が持てないことではありましょうが。

 

苗字「田久保」の由来

■もともとは「田窪」であった。

・伝承によれば田窪氏は伊予国(現愛媛県)豪族「越智(おち)氏(
小市国造)の一族で、その流れをくむ越智親孝が「伊予北条氏」を称し親孝の息子兼孝が同国浮穴群高井邑に住んで「高井」を称し、その孫孝房が「田窪」を称した。伊予国に分布する田窪氏の祖とされる。

・伊予北条氏から田窪氏までの系譜(日本の苗字七千傑から
田窪系譜
※日本の苗字七千傑のページでは「田窳」となっている。「」は「窪」の旧字。

■元寇で肥前へ

・鎌倉時代元寇襲来(1274年文永の役)の時、越智氏につながる「河野氏」一族が功名を挙げ、恩賞として肥前国に所領を得たが、その際河野一族につながる田窪氏も肥前に進出し、当時五ヶ山と呼ばれていた厳木天川の地に土着したものと推察される。

■「田窪」から「田久保」へ

・戦国時代厳木地区は松浦党の一員である獅子城の鶴田越前守の支配下にあり、その家臣の中に田窪甚五右衛門という侍大将がいたとされる。

・豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に秀吉の命に背いたため、松浦党最大の一族「波多氏」の岸岳城主波多三河守が文禄二年(1593年)知行(所領支配権)を没収され武士大名としての波多氏は滅亡したが、これに伴い鶴田氏など波多氏につながる一族はそれぞれ新たな道を選んだ。

・田窪一族も下野したり帰農したりするに際し、一族相謀って「田久保」への姓変えを一斉に行った可能性が高い。
今厳木の地に「田窪」姓は皆無である。

という字はくぼんだ土地やキズ、ゆがみといった意味があり、あまり良い字ではないので、もっといい意味の漢字である、久(ひさしい、永久)、保(たもつ、子供を保護する)に変換したのではないだろうか。
※愛媛県東温市田窪(たのくぼ)に「田窪駅」がある。

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