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三人乗タンデム自転車

今回は自転車の方のバイクの話。

バイクといえば本来はBicycleの短縮形のBikeなのですが、
わが国ではAuto Bikeがオートバイやバイクと呼ばれるのが普通です。
Motorcycleが正式なのかな。


上の三人乗りタンデム自転車は高校3年の時クラブ(サッカー部)も引退し、結構暇だったので「会長」(真ん中)と「親分」(後)とボク(前)の三人で解体屋でスクラップになる自転車数台をただ同然で買ってきて、自動車整備業をやっていた会長のうちの工場でフレームを溶接しチェーンをつなげ、各部品を組み付けて作りました。

写真は完成した三人乗りタンデム自転車の試走で、危ないので念のため先頭のボクだけはヘルメット被り、工場からボクの家のすぐ近くの厳木駅の保線区の敷地まで走った後で記念に撮影したものです。

さすがに強度不足で走行中フレームがグニャグニャゆがみ、これ以上走行するのは危険である、と判断してこのプロジェクトはお終いになったのでありました。まあ発想は面白かったかな。

こんな時間があるのならもっと受験勉強をしておくべきだったことは申すまでもございません。でも会長は現役で第一志望大学建築学部に合格したのでありました。前の人は一浪、後の人は二浪で同じ大学社会学部へ入ったのでした。

あだ名:会長は中学時代生徒会長だったから、親分は小学校の時番を張っていたらしい・・・おそろしか~

そういえば、中学の生徒会長選挙で友人のKMT君の応援演説をしました。リンカーンの演説をもじって「生徒の、生徒による、生徒のための・・・」というようなことを話したような気がする。

ついでに、小学4~5年の時このKMT君の誕生会に御呼ばれしたのですが、母親がお土産に持って行かせたのはなんと「赤玉ポートワイン」!ノンアルではありません。オイオイいくら実家が酒屋だからと言って子供のお土産にワインかい!と突っ込みたくなりますよね。

 

(あとから補足)
前の「CB350」のところでわが故郷厳木ではじめてCB750に乗ったのは、という記載がありましたが、AZM君のコメントで一番は先輩のTKBさんで、二番がAZM君であったらしいです。
このAZM君とは中学三年の時クラスが同じだったこともあり、ほぼ毎朝一緒に登校しておりました。
現在はオーストラリア シドニーでトップクラスの日本料理レストラン「Azuma restaurant」のオーナーシェフです。シドニーを訪れた際にはぜひお立ち寄りください。といっておきながらボクはまだ行っておりません。

 

(さらにあとから補足)
スズキハスラー250に乗っていたFJT君(ぶーちゃん)ですがもう一台印象に残るバイクに乗っていました。
同じくスズキの「GT750」です。水冷2ストローク並列3気筒化738ccエンジン、最高出力67馬力。大きなラジエターが目立ち怪物みたいなバイクだなという印象でした。強烈な加速と最高速度だったらしい。ぶーちゃんからは白バイトとのバトルなど武勇伝を聞かされました。

CB350Four

高校三年の時、町内の浪瀬(なみせ)という地区のお祭りに高校の同級生十数名と同じ高校の同級生Cさんのお宅へ遊びに行った際に、同級生のうちの一人を後ろ乗せて行った記憶があります。急な坂道でもグングン上っていくそのパワーに驚きました。
このバイクは友人SSK君のものでした。2014年に高校の還暦同窓会で40数年ぶりに再会しました。

この年1972年に自動二輪車運転者(同乗者も)に対して、最高速度規制40㎞/hを超える道路でのヘルメットの着用が義務化(罰則等なし)されました。もちろんヘルメットは着用していましたよ。

1969年にナナハンの代名詞になった「CB750Four」が発売され大人気となりました。CB350はCB750のフォルムを残して小排気量にしたものでしたね。CB750は佐賀の片田舎でも発売後すぐに見ることができました。町内でいちばんに乗っていたのが小中学同級生のISD君、かなり小柄なおとなしい感じだったので意外で大変驚きました。ISD君とも中学の還暦同窓会で再会しました。

また、同じ高校で母の実家のある浜玉町平原から一人だけNYM君というバイク通学をしている同級生がいました。これもうらやましかったですね。バスはあるのですが便が悪いので特別に許可されていたようです。ボクはナナハンと思っていたのですがこれも高校還暦同窓会で再会した時に確認したらCB250だったそうです。

あと同じく中学の同級生で高校は違う工業高校へいっていたFJT君(中学時代はAZM君とボクと三人で学校の廊下でよく遊んでいました。三人とも結構体が大きく周りのみんなは迷惑だったかも?)がスズキハスラー250に乗っていました。一度乗せてほしくて何度か頼んだけど結局乗れなかったな~残念ながら早世してしまいました。合掌。

それなりにバイクには興味はあったのですが乗るのは「我が家のカブ(メイト)」がほとんどでした。当時は1980年代の空前のバイクブームは全く予想できませんでした。

ヤマハメイト

たぶん中学3年生の時、家の近くの農道で生まれて初めて自分で運転したのが「ヤマハメイト」。ゾクゾクする感覚を覚えています。

実家は佐賀の田舎町で酒屋を営んでいましたが、配達は自転車でした。祖母は反対していたようですが商売の効率化と商圏の拡大を図るため購入を決めたと聞いた記憶があります。メイトU5(50cc)が発売されたのが1965年7月で、12月に販売されたU7(73cc)を買ったようです。ボクは1954年生まれで11才小学5年の時に父が運転する買ってすぐのメイトの後ろに載せてもらって母の実家まで行った思い出があります。

その後高校1年の1970年に16才になったらすぐに実家の手伝いをするためにオートバイ免許を取りました。高校があった唐津市神田(こうだ)の「唐津自動二輪専門学校」に数日通いました。今でいう公認の自動車学校ではなく練習だけするところで、実地試験は県警の試験官が出向いてきて試験をするシステムでした。

社会人になってから知ったのですが、この唐津自動二輪専門学校は高校の同級生S君の実家が経営していて本人も教えていたということでした。

当時の二輪の免許は「原付」と「自動二輪」の二種類でした。
自動二輪の免許があれば排気量は関係なくすべての二輪車に乗ることができました。
まあいわゆる昔の免許ってやつですね。
1972年に「小型二輪(125cc以下)」と「自動二輪(制限なし)」に別れました。
弟はこの小型免許を取得したのでした。

いずれにしても鈴鹿サーキットに就職して自動二輪専門指定自動車学校の立ち上げを担当し、技能指導員から始まって副校長、さらには設置者(経営責任者)になるとはね。

ちなみに我が家ではヤマハメイトのことを「カブ」と呼んでおりました。
メーカーなどは関係なくこの種の形状のバイクはすべて「カブ」だったのでした。
ベトナムでバイクのことを「ホンダ」というのと同じですね。

P.S.「乗ってる、乗ってる、乗ってる、乗ってる~♬」の歌を見つけました。

久しぶりに英語の勉強

今朝起きて目に飛び込んできたのが、新聞の一面の記事。

「米朝首脳会談中止」

しかもお手紙(書簡)が公開されておりました。
ざっと見てだいたい意味はつかめましたが、わからない単語を辞書で調べて精読してみました。
特にここなどは完全に恫喝ですよね。
「You talk about your nuclear capabilities, but ours are so massive and
powerful that I pray to God they will never have to be used. 」

いやいや一国の大統領が他国の首脳に出す手紙じゃないだろう、オイオイという感じですね。(内容は理解します。表現がね。)Weblio英単語帳に20wordsほど登録しました。

店内本棚の整理

店内本棚のそば関連の本や雑誌の整理をしました。
けっこうな冊数があり一部別のところで保管していたのですが
新たに本棚を増やしてすべて収まるようにしました。
取材を受けて弊店を掲載していただいた雑誌だけでも20冊ほどになります。

脱サラしてそば屋を開業する際にほとんどの本を処分しました。
取っておけばよかったな、と思う本もたくさんありますが、
今は図書館を最大限に利用しております。
県内の図書館に蔵書があれば取り寄せてくれますので本当に便利で重宝しております。

サイトリニューアル

web siteを新しくしてみました。

というか、誤って前のサイトのデータを削除してしまったのでした。
トホホですね。

Blogは開業以来継続して書いていたのですが、
2010/9~2011.10および2013/1~2018/4の記事が消滅しました。
残念。

昔サラリーマン時代に長時間かけて作ったPCの資料などを
誤ってデリートしたことがよくありました。