Category: ボクが乗ったクルマ

ボクが乗ったクルマ・社会人編①~⑧

By , 2015/09/03

以前LIVE DOORブログにて掲載した「ボクが乗ったクルマ・社会人編」です。

下の第一回目の画像をクリックするとご覧いただけます。
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スバルレオーネ

By , 2015/02/24

ボクが乗ったクルマその8

スバルレオーネ。ボクの大学自動車部同期N君が乗っていたクルマです。
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確か他の大学自動車部主催のダートトライアルにダブルエントリーして出走したのですが、
ギャップにアンダーガードをヒットさせ変形させてしまい迷惑をかけてしまいました。御免ね。
いや~人のクルマを借りて壊してしまう悪いやつだったのです。反省しております。

当時ラリーは社会的な制限が多く縮小傾向にあり、代替競技としてダートトライアルが盛んになっていました。

我が明学自動車部も時流に乗り遅れないためと活動資金確保のため、ボクが4年の時にダートトライアルを開催しました。
企画書作成・会場確保・スポンサー交渉・進行要領作成など他大学自動車部(主に立教)のノウハウを聞きながらなんとか
やり遂げたました。立教自動車部のみなさんありがとう。

その時成績発表をしている写真です。
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右端にいるのがN君ですね~

ボクが3年の時八王子のサマーランドと言うところで関東学生自動車連盟の合同ダートトライアル練習会が開催され
有名ラリーストにドライビングを教えていただいたのですが、ボクが教わったのが日下部保雄さんでした。
その後鈴鹿サーキットに就職して「レブスピードドライビングスクール」で日下部さんとご一緒に仕事を
するとは思ってもいませんでした。

ランサー・セレステ1600GSR

By , 2015/02/16

ボクが乗ったクルマ続編、確かその7?

ボクは一浪して1974年に明治学院大学社会学部社会学科へ入学したのですが、
入学する前から自動車部に入部することを決めていました。

本当は早稲田大学の自動車部が第一希望だったのですが残念ながら2回も入試に落ちてしまいました。
なぜ早稲田大学自動車部だったのかというと、高校の時に何かの雑誌に掲載してあった早稲田自動車部の女性が
アジアハイウエイをクルマで走破する冒険談を読み、これだ!と思ったのでした。
最近思い出してwebを検索したらそれらしき方を見つけました。この記事の大賀さんだと思います。

で、入学してすぐに新入生を勧誘していた自動車部へ。先輩部員の方と話をしていて出身が佐賀だと言ったら
同じ佐賀出身のE先輩に紹介され、もうそこで入部決定。

そのE先輩が3年か4年の時に手に入れたクルマがラリー仕様の「ランサー・セレステ1600GSR」。
カラーは黄色でボンネットがつや消しのブラック。エンジン・足回りもチューンナップされていました。
当時、三菱ランサーはラリー界の頂点にいましたからね~
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実家のある佐賀で登録すると言うことでE先輩とI先輩とボクの三人で陸路佐賀に向うことになり
当時高速道路は名神の吹田までであとは国道をひたすら佐賀へ。丸一日がかりでした。

その後何度かラリーの練習でお借りし、いちど山岳路の側溝に車輪を落としご迷惑をかけた記憶があります。

大学4年の時にル・ボランというクルマ雑誌の企画で三菱のトップラリースト篠塚健次郎さんに
ドライビングを教わったことがあります。その時の記事はこちら

楽しい懐かしい思い出です。
E先輩、当時のランサー・セレステの写真ないですか?

つづく・・・

日産サニーB110

By , 2013/05/02

ボクがこれまで乗ったクルマ、その6。

日産サニー4ドアセダンB110ラリー仕様
直列4気筒OHV A12型1200ccエンジン
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このクルマは大学自動車部の3年先輩のラリー車。
東京湾の埋立地で開催されたダートトラックにダブルエントリーした時のスタート前の写真。
当時はラリーが安全上の理由で縮小傾向にあり、それに代わるものとしてダートトラックが
盛んになりつつありました。この時は大学5年、クラブに入れ込むあまり学業がおろそかに
なって留年したのでした。

で、張り切ってスタートしたのですが下の写真のすぐ後の左ターンで横転してしまったのです。
しかも、運転席側の窓を下げていたため、横転しかけた時に支えようと(支えられるわけは
ないのですが)思わず右腕を出してしまい、ドアと地面の間に挟まれてしまったのです。
すぐに元へ戻ったのですが、そこでリタイア。
かなり痛むので翌日整形外科で診てもらったのですが骨には異常なし。打撲で済みました。
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補修代はまだ学生だったので就職してからということで勘弁してもらいました。
M先輩、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

三菱コルト・ギャランGS1500

By , 2013/05/01

ボクがこれまでに乗ったクルマシリーズ、その5。

三菱コルト・ギャランGS1500(1500ccSOHCエンジン)1969年に発売された車です。
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大学自動車部時代のダートトライアル用の部車。
このクルマで3年と4年の時に全関東選手権のダートトライアルに出場したのだが
成績はいまひとつでありました。
(いまいちは個人成績のことで3年の時この競技を含む全関東年間競技で我部は
総合優勝したのであります)

で、上の写真は1977年4月に創刊された「ル・ボラン」というカーマガジンの
「篠塚健次郎のマンツーマン・ドライビングテクニック」という記事企画に
ボクが受講生として参加した時、篠塚さんがドライビングしているものです。
第1回掲載は1978年2月号。下がボク。この時の会場は所沢モーターグランド。
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第2回1978年3月号・第3回1978年7月号・最終回が1978年8月号でした。

ご興味のある方は下記をご笑覧あれ。
第1回
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第2回
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第3回
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最終回
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明治学院大学体育会創立25周年記念体育会報

By , 2013/04/19

前回自動車部がボクの大学生活のほとんどだったような話でしたが、
4年の時1977年は明治学院大学体育会創立25周年かつ学院創立100周年で、
記念の体育会報が発刊され、そこで部創設のいきさつやエピソードなどを
まじえ各部紹介記事が掲載されました。
自動車部の原稿は主将だったボクが書くことになり四苦八苦して書き上げた
ことを思い出しました。
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その記事をデジタルで残しておこうと思い立ち、スキャナーで読み取り
OCR(Optical Character Reader光学式文字読取装置)ソフトで変換しようとしたところ、
なんとPCから削除してしまっており、しかもソフトCDも捨ててしまっておりました。
何かいい方法がないかと検索すると、Googleドキュメントで光学式文字認識ができるらしい。

Googleドキュメントに文字情報が入った画像(bmp jpg PDFなど)をアップロード
する時に設定で「画像ファイルからテキストに変換」にチェックをしておけばOK。
さっそくやってみると、縦書きの原稿にもかかわらずほぼ90%を正しく認識しました。
すばらしい!

以下がその変換したテキスト。表現が硬くて拙いしへただね~今もあまり変わらないが・・・
ご興味がある方はご笑覧ください。
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自 動 車 部

自動車部が創立されて、 二十余年、四半世紀の年月を数える歴史を持つ。
創立当時はまだまだ自動車というものは一部の人々のいわゆるステータスシンボルであった。
しかし、モータリゼーションの発達はめざましいもので、現在では車なしの生活は考えられないまでになっている。それと並行して、自動車の持つメリットと相反する諸問題が顕存化してきた。
まず、自動車のまきちらす排気ガスによる大気汚染問題、オイルシィックを契機にしたエネルギー問題、交通事故、多ずぎる車による交通問題等なんと数多くの問題をかかえていることか!

われわれ自動車部は、これらの多数の問題点をもつ自動車を活動の手段として使用しているのである。
また、こよなく車を愛する者の集まりである。車社会が大きく変化してきたとともに自動車部も大きく変わってきた。創立当時、まだもの珍しいものであった車。車に乗りたい、 免許を取りたいと思って入部する部員も多かった。が現在では、モータリゼーションの発達が車を日常化したために、車に対する興味が半減し、わざわざ自動車部に入ってまで車に接しようとしなくなったためか、部員数が減少の傾向にある。

自動車部の活動における車とは、スポーツの手段なのである。サッカーのボール、テニスのラケット等と同じなのである。サッカーの選手がボールを自在に操るように、われわれは自動車を自分の意志どおりに操ることに無類の喜びを感じるのである。一般に行われているモータースポーツいうと、レースやラリー等を思う人が多いと思う。
昨年、自動車レースの最高峰であるF1グランプリが日本で初めて開催された。しかし、学生スポーツとしての自動車部の行う競技は、一般のモ ータースポーツとはまた趣を異にしている。

フィギアと呼ばれる運転技術を競うものがある。これが体育会自動車部というものを可能としている最も大きなものである。車というものは、走っている時はハンドルはあまり重く感じないものであるが、 一時止まってハンドルをきろうとしてもなかなかきれるものではない。フィギアとは、人の歩くくらいの速度で車を動かすため、相当の体力と持久力が必要となっ てくる。また、車が通るか通らないかくらいの狭くて複雑なコースを脱輪したり、接輪したりしないで、しかも決められた時間内に他よりも早くゴールしなければ勝てないのである。この競技に勝利を収めるべく、われわれ自動車部は、車のことを知り、体力をつけ、精神力を養う努力を重ねている。本年度全関東フィギア大会において、わが明学は男子準優勝、女子優勝、個人三位という素晴らしい成績を収めた。

もう二三自動車部の行っている競技について述べさせてもらうと、先に車を乗りこなすには車を知ることが必要であると述べたが、車を知ること、すなわち整備技術の修得である。それは単に知識だけではなく、古い部の車をまともに動かずために必要欠くべからざるものである。そして日頃 の整備技術を競うものとして、整備大会というものがある。

次に耐久走行大会というもの、ダートトライアルというものがある。簡単に 説明すると、耐久走行とは、富士スピードウエイを使用し、レース化するのを防ぐためサーキットを一 周する上限時間を設け、コースを五〇周くらい走行して義務づけられたタイヤ交換やプラグ交換等のピット作業と、部車の耐久性を競うものである。ダートトライアルとは、舗装されていない悪路にコースを設定してより早く走る競技である。一般の走行とちがい、横すべりやジャソプ、あるいは運転を一つ誤まれば横転するようなこともある。より高度なドライビングテクニックと経験が必要となる。

以上、説明した四つの競技が全関東総合成績に関係してくるものである。優勝すると三十点、以下二位二十九点、三位二十八点とポイントが与えられ、四つの総合点で全関東の 総合成績を決定する。我自動車部は、七十三年度に男女共総合優勝し、昨年度も男子が総優勝、学内でも体育会の最優秀クラブ賞を二度もいただいた。この栄誉と創立以来、諸先輩方の築いて下さった伝統を今後とも発展させ、自動車部を存続させていかなければならない。

また、先にあげた車の持つ反社会的な面に対しても決して目をそらさず、自動車部員として恥ずかしくない考えとそれに基づく行動をとることが大事であると思う。今年で七年目になる交通遺児育英募金や、交通問題に関する調査、シートベ ルトキャソペーンなど学連とともに協力して、積極的にそれらの運動に参加している。また一般ドライバーの模範となるべく、日常の運転においても自分は自動車部員なのだという気持ちを忘れずに努力しているつもりである。そして自動車部員が模範的交通人であることで、交通社会に一つの示唆を与えることができればと思うのである。最近、暴走族と呼ばれる一部の若者が車を使用して乱行を働いているというのを見るのは、自動車を正しく使い、ルールを守りスポーツとして自動車を愛する者にとっては、心痛いことである。まして我国において、モータースポーツはまだまだ一般の人々の理解 を得ているとは思えない。一つのスポーツとして理解してもらいたいと思う。

最後に、一つの目的に向かって部員一同、一致団結し、なおかつ自己をみつめ鍛え励むことは、他の体育会各部と同じである。学院創立100周年を迎かえ、体育会全体としてこれを機にさらに発展していくために、共に努力を惜しまないつもりである。

日産チェリー

By , 2013/04/17

ボクは一浪して明治学院大学社会学部に1974年に入学したので学籍番号は
74S-105(sはsociology社会学)。
でも、学業の方はおろそかににしていたため、一年留年してしまったのだ。
両親には本当にすまないことをしたと今更ながら反省しております。

おろそかにした学業とはうらはらに、体育会自動車部は結構まじめに取り組んで
おりました。おかげで当時「ホンダランド」といっていた会社に就職できました。
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で、今回の日産チェリーなんですが、これは1975年12月7日に富士スピードウェイ
での全関東大学対抗ジムカーナ大会で初めて乗ったクルマ。
当時日産が全関東学生自動車連盟に協賛してくれていて、ジムカーナ仕様に
チューンアップされていました。学自連事務局も日産の大森にあったくらいです。

で、プチ自慢になってしまうのですが、この大会で入部して初めて競技大会で
三位入賞したのであります。その時のトロフィーは捨ててしまったけど、プレート
が残っていたのでついでに。それまでは賞状やトロフィーなどというものには
とんと無縁だったボクにとってはうれしい出来事だったな~

ゲストで当時日産のワークスドライバーだった星野さんが来ておられました。

つづく・・・

トヨタ・スプリンタートレノ

By , 2013/04/09

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このクルマは「スプリンタートレノ」いわゆる27トレノです。
排ガス規制前のクルマでDOHC1600cc。オーバーフェンダー。
軽いボディに高出力エンジン、FR(フロントエンジンリアドライブ)。
たまらんクルマでした。

で、なぜトレノか?というと
1975年の春だったと思うのですが、亡母から「今度、U子ちゃんの寮から出らすけんが、
あんた手伝いに行かんね!」という電話があったのです。

このU子ちゃんというのは、ボクの中学時代の英語の塾の先生でなおかつ高校の時は
英語の教師だった方の娘さんでボクの同級生なんですが、当時東京女子大の寮に
入っていて、退寮してアパートに引っ越すので手伝いに行け、というわけです。
母親同士が仲が良かったのですね。
ボクが自動車部でクルマは何とかするだろうと言うもくろみだったのでしょう。

そうゆうわけで、先輩のOさんにお願いしてスプリンタートレノを借りて、引越しの
手伝いをしたというわけです。荷物はそんなに多くなく十分間に合いました。

女子大の寮に入れる!という少しばかり期待感はあったですがまあ普通でした。
U子ちゃんのお母さんに食事をご馳走になりそれから40年近く過ぎていたのですが
FBでまた再会して、先日お声を聞くことができました。

さまざまのこと思い出す桜かな

マツダB360トラック

By , 2013/04/07

このクルマはボクが生まれて初めて自ら運転したクルマ。
確か17歳の時だったはず。

マツダB360トラックです。
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バイクの免許は17歳の9月に取得していたのですが、
もちろんまだクルマの運転免許は取得していませんでした。

実家は当時酒屋(酒類販売店)で配達に使っていたのですが、
田舎だった町ではクルマはまだまだ珍しい時代でした。

店のすぐ前を国道203号線と国鉄唐津線が通っていましたが、
その踏切を越えて川の方へ行く田舎道があり、そこを親に黙って
何回か運転しました。
橋の欄干にぶつかってヒヤリとしたこともありました。

またある時はUターンしようとしたのですが、そこが坂道で
ブレーキを離すとクルマがバックするのでアクセルが踏めな
くてしばらく悩んでいたのですが(サイドブレーキを使うこと
は知らなかったのです)右足でブレーキを踏みながらかかとで
アクセルを吹かすことでなんとかそこを乗り切りました。
いわゆる「ヒールアンドトー」を学んだということです。

その時の学んだことが学生時代の自動車部活動や就職してからの
ドライビングスクースに少しは役に立っているのかもね?

ホンダ1300「チッチ」

By , 2013/04/06

今HondaのHPで「歴代ホンダ車人気投票」というキャンペーンをしています。
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で、ボクがこれまで乗ったクルマを振り返ってみようかな、と思って、
第一弾は「チッチ」です。

なぜ「チッチ」かというと、名称が「ホンダ1300 77」だったから。
そのころ高校生の同級生でマージャンをよくやったのですが、チートイツの
点数が7700点でチッチ。
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このクルマのオーナーはあだなが「ボーヤ」と言うボクの高校の同級生で
当時大学生だったボクたちはこのクルマでもう一人の同級生「会長」と
三人で東京から佐賀の厳木という三人の生まれた町に帰省したのでした。

結構パワーはあるんですが、なんといってもオイル消費量が半端ではないのが
印象的でした。通常はガソリンの消費のみに気をつけていればいいのですが
このクルマは4ストロークエンジンなのにオイルの減りが異常なのでした。

でも、確かに早かった。
でも、フロントヘビーで操縦安定性は当時のボクにも???なクルマでした。

まあ、本田宗一郎さんの空冷エンジンにこだわった故の奇形なクルマだったのかな。

続く・・・

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