なぜそば屋に?

By , 2010/07/30

ハンドルから麺棒へ、ボクはそば屋になった。

鈴鹿サーキットのバイクとクルマのインストラクターは、転がすものを車輪とハンドルから麺棒に変え、
組織から家族へシフトチェンジ、そしてそば屋に。
そんな店主の経歴です。

店主:田久保 浩貴 takubo koki

生まれ~学生生活

■1954.11.16:佐賀県東松浦郡(現在唐津市)厳木町に生まれる。実家は酒屋(現在は廃業)
※厳木を「きゅうらぎ」とは普通読めない。いわれは、その昔ご神木があった=清い木=きよらき→ きゅうらぎで「清」の漢字が同じような意味の厳に転換したらしい。
■1970.4.1:厳木中学から唐津東高校へ。男女共学なのだが男の数が多いため各学年男子単独クラスが1クラスあった。 みごと3年間男子単独クラス。それはないだろうと人生で初めて憤りを感じた。「おくんち」では無礼講で酒を沢山いただいた。ごちそうさまでした。 早稲田など東京の大学を数校受験するも見事すべて不合格。早稲田ゼミナールに入り、 しつこく早稲田を狙うも、また失敗。
■1974.4.1:二浪は許されず、 明治学院大学社会学部へ。社会学部とはいうものの実際は体育会自動車部であった。 部活動に没頭するあまり、1年よけいに在学するはめに。生活費を仕送りしてもらうわけにもいかず、 運送会社でアルバイトを開始、水質浄化関連会社の専属運送会社で、南は九州から北は北海道まで 全国を叉にかけた運送の仕事を1年間経験。自動車部でのトラック運転技術習得が大いに役立った。※トラックの屋根にのっているのがボク。

サラリーマン時代

■1979.4.1:(株)ホンダランド(現在:モビリティランド)入社
主に鈴鹿サーキット交通教育センターで、 オートバイ専門教習所や安全運転研修、ドライビングスクール、レーシングスクールを担当、途中モータースポーツ部門でF1等レースチケット販売管理などの業務にも従事した。
■1987.6.1:結婚
■1988.12.9:長女誕生
■1991.3.4:次女誕生
■1994.12.19:三女誕生
■2000.11.9:長男・四女誕生

■2005.3.31:早期退職制度適用にて鈴鹿サーキットランド退社
※鈴鹿サーキット入社から退社までは職歴をご覧ください。

そしてボクはそば屋へ

■2005.8月:「築地そばアカデミー」開業総合科受講
■2005.10月:「達磨そば教室」受講
■2005.11月16日:蕎麦「空」soba-quu open/51歳の 誕生日なのですが、一応第二の人生(後半戦) スタートと少しこだわってみました。
四半世紀はやりたいと思っております。第4クオーターは余生ですね。 人生100歳を目標にぼちぼちいきましょう。
■2005.12月14日:膀胱ガン発覚。
幸い早期発見で12.22「径尿道的膀胱腫瘍削除術」を受ける。年内休業。※詳しくは塞翁が馬をご覧ください。
■2006.1月5日:心機二三転、再開店。
■2006.8月3日:膀胱ガン再発で再度入院手術(前回と同じ内容)。今回は休店日をはさみ3日間の休業。
その後、3ヶ月毎に検査。今のところ異常無し。

三重テレビ「とっても ワクドキ!セカンドステージ」2008.11.18放送
「第二の人生をそばに打ち込む」


無題 投稿者 soba9
 

ボクたち

好きなことば:「ま、いいか」
あこがれ:「晴耕雨読」「方丈記」的生活
好物:「日本酒⇒wine」「蕎麦」
好きなこと:「歩く・自転車に乗る=旧街道や奈良・平安時代の旧跡」「本を読む」

現在の座右の銘
「山家の富貴は銀千樹、漁夫の風流は玉一蓑」
禅僧白隠の言葉。「禅的生活」(玄侑宗久著)に記述。
・山暮らしを決め込んだきこりは自分の暮す山が雪で覆われ仕事ができない困った状況でも、きこりとして この山で暮らす覚悟ができているから、雪で覆われた山も美しく愛でることができる。
同様に、毎日身につけるみの一つで漁労で生きていくと 覚悟を決めた漁夫はたとえ大漁でも、一匹も釣れない ボーズでもそれはそれで「風流」として楽しめる。
と言うこと。
さしずめ「そば屋の風流は玉麺棒」か。

→開業日2005.11.16のツーショット。

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