なぜそば屋に

「ハンドから麺棒へ。」僕はそば屋になった。

店主:田久保 浩貴 takubo koki


■1954.11.16:佐賀県東松浦郡(現在唐津市)厳木町に生まれる。
実家は酒屋(現在は廃業)
※厳木を「きゅうらぎ」とは普通読めない。いわれは、その昔ご神木があった=清い木=きよらき→ きゅうらぎで「清」の漢字が同じような意味の厳に転換したらしい。

■1970.4.1:厳木中学から唐津東高校へ。
男女共学なのだが男の数が多いため各学年男子単独クラスが1クラスあった。 みごと3年間男子単独クラス。それはないだろうと人生で初めて憤りを感じた。「おくんち」では無礼講で酒を沢山いただいた。ごちそうさまでした。
早稲田など東京の大学を数校受験するも見事すべて不合格。早稲田ゼミナールに入り、 しつこく早稲田を狙うも、また失敗。

■1974.4.1:二浪は許されず、 明治学院大学社会学部へ。
社会学部とはいうものの実際は体育会自動車部であった。
部活動に没頭するあまり、1年よけいに在学するはめに。生活費を仕送りしてもらうわけにもいかず、 運送会社でアルバイトを開始、水質浄化関連会社の専属運送会社で、南は九州から北は北海道まで 全国をまたにかけた運送の仕事を1年間経験。自動車部でのトラック運転技術習得が大いに役立った。 いろんなものを運んだが、特に印象的(嗅覚的に)だったのは養豚場の豚の糞尿。 会社の研究部門へ運び込みその養豚場にあわせた浄化システムをつくるために分析をするためとのことだった。(トラックの屋根に乗っているのがボク)

■1979.4.1:(株)ホンダランド(現在: モビリティランド)入社
主に鈴鹿サーキット交通教育センターで、 オートバイ専門教習所や安全運転研修、ドライビングスクールの業務に従事、ここでも自動車部の経験が大いに役立った。(今はなき多摩テックのバッジ)

■1987.6.1:結婚
■1988.12.9:長女誕生
■1991.3.4:次女誕生
■1994.12.19:三女誕生
■2000.11.9:長男・四女誕生

■2005.3.31:早期退職制度適用にて鈴鹿サーキットランド退社
※鈴鹿サーキット入社から退社までの職歴はこちら


■2005.8月: 「築地そばアカデミー」開業総合科受講
■2005.10月: 「達磨そば教室」受講
■2005.11月16日:蕎麦「空」soba-quu open/51歳の 誕生日なのですが、一応第二の人生(後半戦) スタートと少しこだわってみました。
四半世紀はやりたいと思っております。第4クオーターは余生ですね。 人生100歳を目標にぼちぼちいきましょう。

■2005.12月14日:膀胱ガン発覚
幸い早期発見で12.22 「径尿道的膀胱腫瘍削除術」 を受ける。年内休業。
■2006.1月5日:心機二三転、再開店。
■2006.8月3日:膀胱ガン再発で再度入院手術(前回と同じ内容)。今回は休店日をはさみ3日間の休業。
■2016.9月2日:膀胱ガン再発で三度目の入院手術(内容は同じ)。9/1-4入院。9/5から営業。
その後、3ヶ月毎に検査、現在は異常無し。


2008.11.18三重テレビ番組「とってもワクドキ:セカンドステージ」

脱サラしてそば屋になったボクの第二の人生を番組で取り上げていただきました。

店舗の場所や営業内容は当時のものです。
現在の店舗営業内容等は弊店WebSiteにてご確認ください。