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名護屋城の謎

2015年11月、祖母の33回忌、母の13回忌の法要で家族全員7人で帰省した際に、
鎮西町にある大望閣というホテル泊まりました。

そのホテルのすぐ近くに「名護屋城」があるのですが
地元東松浦で育ったにもかかわらずほとんど関心を持っていませんでした。

太閤秀吉が朝鮮出兵の前線基地として造ったお城で大したものではないだろう、ぐらいの認識でした。
翌日早く起きたので折角だからちょっと見てみようといってみてビックリ!
城の建物は当然全く残っていないのですが城郭の規模は想像以上で、オオこれはすごい!と天守閣跡まで一気に登ってみました。
そこには青木月斗の句碑が。
「太閤が睨みし海の霞かな」

また全国から集まった錚々たる戦国大名たち!徳川家康・前田利家・伊達政宗・長曾我部元親・藤堂高虎・石田三成等々オールスターじゃないか。

それ以来、名護屋城や文禄慶長の役に関心を持つようになっていろいろ本を読んだり、佐賀県立名護屋城博物館から資料を取り寄せたりしているうちに、なぜ名護屋にお城を建てたんだろう?という疑問がフツフツとわいてきたのでした。
いくら壱岐対馬に近いといってもあんな片田舎で立地条件も悪いし、全国から100以上の戦国大名たちが陣を構えるには地形が良いとは言えないし、博多という良港があったのに、などなど。

でつい最近三重県立図書館でこの本を見つけたのでした。著者の原口さんは唐津の中学校などで社会の先生をされていた方で鎮西町史などの編纂委員も歴任されています。先日鎮西町教育委員会に問い合わせたら4年ほど前に他界されておりました。

原口さんは、19歳から17年間唐津で過ごした博多商人で茶人の「神屋宗湛」の茶会記をもとに状況証拠を固め、「神屋宗湛」こそが秀吉に名護屋を薦めた張本人であると推測されています。

また波多氏の改易の経緯についても興味深い推測をされております。
波多氏改易については我が田久保家の先祖もその影響をうけておりもう少し詳しく知りたいところです。

下の資料はこれからのたのしみ。時間はあります。

走るための本三冊

かねてから走りたいと思っているのですが、行動に移せないでおります。

なにごともまずマニュアルから入る癖のあるボクはこの三冊を読んで、
今度こそと脳内の準備は完全に整っております。

しかし、身体は別であることは論をまたないのであります。

 

「ランニングする前に読む本」

ボクにとってのベストオブランニングマニュアルです。

BLUE BACKSだけあって理論と実践、生理学、メカニズムまで解説してあります。
・スロージョギング(にこにこペース)
・フォアフット着地
・スポーツカーと同じく軽量化が一番効果的
あたりがポイント。

 

「走って治すぞ、ガン闘病。」

口腔外科大学教授のガン闘病記ですが、市民マラソンが趣味のこの方はガン手術の二日前にもハーフマラソンを走ってしまうんです。でもその走りで鍛えた身体と精神力でガンと正面から闘うのです。ある意味カッコいい。患者になって初めて気づいたことや弱気になったことなども正直に書いてあります。

ボクも脱サラして2005年そば屋を開業して一か月目に血尿が出て受診したら膀胱ガンに罹患していて、その後2006年、2016年と三回ガン切除手術を経験しています。幸い内視鏡手術なので膀胱切除まではいっていませんが、妻の亡母が膀胱ガンで膀胱を摘出し膀胱ストーマ(人工的に外部に尿を溜めるパウチをつける)にしました。他人ごとではないのです。

この教授は大腸ガンや転移した肝臓ガン手術の後、人工肛門ストーマにしてパウチをつけたままフルマラソンを完走するのです!
いやいやボクだったら絶対無理とあきらめていたと思いますが、今その事実を知ったら逃げるわけは行きません。まして、内視鏡手術で済んでいるのだから、走らないわけにはいきませんよね、山本先生。

実はボクには、幼稚園から高校まで同級で、北大歯学部に入り現在佐賀市内で歯科医院をしている友人がいます。還暦同窓会で会った時に「そういえば、なして歯科医になったと?」と今更の質問をしたら、中学の時大学病院で口腔外科の先生を知り、自分もなりたいと思ってそれに向かって努力したそうです。中高大のころはそんなことはつゆ知らず、ボクは能天気な学生生活を送っていたのでした。

あと山本先生は「自らの生きざまを書き記してほしい。文字で記録されなければ存在そのものがなかったことになる。文献史学では史料に名前や事績が残らなければ不詳とされてしまう。文字で記録されなければ、人生や存在そのものがなかったとされてしまう。」と書いておられます。そしてこの本を書く時に担当者に「晒し者になってください。」と言われたそうです。もう一度ブログを書いてみようという気に大いにさせていただきました。

ストーマ等については「日本オストミー協会」をご参照ください。

 

「BORN TO RUN 走るために生まれた」

著者がランニングで足を痛めることが多く、なぜなのかを追求していくうちに、走るために生まれた人々「走る民族タラウマラ族」を見つけ出し、ベアフットランニングやトレイルランニングという自然な走る理論を発見し、人は走るために生まれたれたのだ、と確信するお話。

このサイトの解説がよかったです。

bear bore born アレ?裸足のベアはと辞書を引くとbareでした。

告白します。ボクもベアフットランナーだったんです。下の写真は高校三年の時の体育祭。運動場を使った2000mくらいの長距離走でトップを走っているボクは裸足なんです。結果は後の友達で陸上部だったボーヤに抜かれ二位でゴール。
昔のことでボクの27.5cmの足にあうシューズがなくやむなく裸足だったのですが。

蛮族の歴史

「イギリス、フランス、ロシア、中国といった国々は蛮族の侵入によって生まれた。」ではじまるこの本は、蛮族(侵略者)たちによってこの世界は形づくられたのだということをローマ帝国の滅亡から紐解いていきます。

最近世界史を再学習しているのですが、そういう見方があるのかと目からうろこですね。

ローマを滅ぼしたゴート族、そのゴート族を苦しめたフン族、ヨーロッパを席巻したゲルマン族、そのヨーロッパを震撼させたバイキング、そしてユーラシア大陸のほとんどを支配したチンギス・ハーンを祖とする最強の蛮族モンゴル人。

この本を読んでいると、北の方の寒くて気候が厳しい人達は獰猛というか残虐というか、人を殺すこと他人のものを掠奪することをなんとも思わないというか、それが正義(当たり前のこと)なのでしょうね。やはり風土が人を形づくるのでしょう。四季と豊かな水、大陸を隔てる海に恵まれたわが国はどんな人々を生んだのでしょうか?

そういえば和辻哲郎著「風土」を古本で買ったまままだ読んでいませんでした。さっそく読まなきゃ。

わが日本はモンゴルに二度攻められましたが、お天気にも恵まれ何とかしのぎました。むかしは異国人を南蛮人とよんでいましたし、もともとチャイナの中華思想によれば自分たち以外の四方は北荻・東夷・南蛮・西戎とさげすんでいたのです。

英語Barbarianの語源はギリシャ人が他民族を「聞きづらいわけのわからない言葉を話す者=バルバロイ」と呼んだことからはじまったとか。バルバルバルと聞こえたんでしょうね。

でもこの蛮族という定義そのものがおかしいわけで、ギリシャ人も他民族から見ればバルバロイですよね。

アマゾンプライムTVで「VIKINGS」と「The Bridge(北欧ミステリー)」を見ているのですが歴史的背景などをある程度分かってみるとまた趣がちがいます。