一昨年亡くなった父が子供のころのあだ名が「長髓彦ナガスネヒコ」だったと言っていたので、長髓彦を祀った神社を探していたのですが、朝敵とみなされていたため表立っては残されていないようです。
でも何か残っているはずと思い、伝承地をめぐっていたところ「石切劔箭神社」(いしきりつるぎや)にたどり着きました。
この神社は密かにナガスネヒコを祀っているといわれています。 先人がこのことを考察した文献があります。一周忌の時に石切劔箭神社のお札を霊前にお供えしました。
以下にボクの備忘もかねて先人の考察の要約を掲載します。
「長髄彦」の実像 進藤 治/著 — 幻想社 — 1989.2 — 210.3
石切 (イシキリ)と長髓彦
さて、この神社の固有名詞として創建以来伝承されてきたに違いない「石切」という語彙が何 を意味し、何に由来するのでしょうか。
どうも大和言葉ではすっきりとした解釈ができ兼ねるようです。従って宛てられた漢字にその 解明の鍵があるのではなくて、この「イシキリ」という音韻にこそ神社の名の由来と共にすべて の謎が秘められているのではないでしょうか。
後世になってからの、既に存在していた音韻の本当の意味とは、無関係に宛てられた漢字の石 「切」の意味を解釈することから脱却して、この音韻こそ遠い縄文の昔からこの地域にも分布して いた、エミシと呼ばれる先住民族の言語の語彙によるものなのであろうと考えて、先の要領でア イヌ語に比定してみるべきでしょう。
石切=イシキリ=イ、シー、きル・イ (i-si-kiri)。あるいはイチきる・イ (i-cikiri)。 という風に比定されそうです。きル (kir)も、チキる (cikir) も脚とか髓という意味で、シー (si)は大きいという意味があ ります。それに語頭に来るイ(i)は接頭語としての働きをする時、第三人称主格となって神や諸々 の超人的な者の名を直接に呼ぶことを憚って表現するという古い語法なのだそうです。
この場合、「長髓彦」という卓越した人物のことを直接名指すことを憚る畏敬の念が先住民の 間に存在していたろうことは十分考えられることで、接頭語イ (i) 第三人称主格の用例にあたると考えて差支え無さそうです。
そうすると「石切」(いしきり)すねはイ、シー、きル・イ (i-si-kiri) 《かの大きい脚》。あるいはイ、チキル・ イ(i-cikiri)《かの脚(定冠詞つきの)》ということになって、実に紛れもなく長い脚(髓)が その身体的特徴であったらしいことから、「長髓彦」と和語に翻訳されて後世に伝承されてきた ながすねひこ人物の名そのものの意味を、先住民エミシの言葉で表現した音韻だったと想像されるのです。
あまりにも出来すぎで、少々気味の悪さすら覚える程ですが、長い間探し求めていた「長髓彦」(ながすねひこ) の先住民の言葉による呼び名が、石切劔箭神社の神社名の語源を明らかにすることによって同時に判明したことになり、やがてこの神社にまつわっていた謎がすっきりと解明されて行くような 印象を覚えます。
先住民が使用していた縄文語で、「イ、シ、キリ」乃至はそれに近い音韻をもつ語彙が長髓彦という意味をもつ固有名詞だったと考えてほぼ間違い無さそうです。
そして、何らかの理由で長髓彦はこの神社と根源的な、密切不離の関係があり、どうしても打 消すことの出来ない縄文語エミシ語による固有名詞の音韻が神社名の中に巧妙に織りこまれ たまま、悠久の年月を経過して今日まで伝えられて来たものと考えられるのです。
石切劔箭神社の「石切」が、長髓彦そのもののことだったということになると、この神社、特 に上之宮は穂積臣家(ほづみのおみ)や木積家(こづみ)を離れて、実に長髓彦、饒速日、神武という三人の英雄が登場する 神話の世界に迄遡る古い由緒を持つことになります。
それが科学的に何千何百年程昔のことになるのか、このような英雄達の活躍の舞台を何世紀に 設定するのか、果してこのような英雄達が実在したのかは知る由もありません。しかし神話伝承 は何らかの史実の投影であり、漠然と河内や大和が縄文晩期から弥生前期へと、重複しながらゆっ くりと移ろいつつあった頃の出来事の記憶を、象徴的に物語ったものだろうと想像します。
そのような、気の遠くなる程長い星霜の間、全く世の人々に知られることも無く、真実の祭神 の名が先住民のエミシ語の音韻で、物部系の穂積臣の氏神の神社名の中に秘められて後世迄伝えられたのであれば、つまり、この神社の真実の姿が実は「長髓彦劔箭神社」ということだったのであれば、先にも述べた地元の人々が遠い昔から延々と語り伝えてきたという、この神社と長髓彦とのただならぬ関係を、或る時期に厳しい政治的弾圧をも覚悟して敢て語り伝えたという、あの口碑の存在も納得できるのです。
物部氏は大和朝廷の軍事や警察をも掌った氏族ではありましたが、その遠祖としてこの宮の祭 神として祀られている饒速日や可美真手(うましまで)にはこの神社の名に冠せられている「劔」だとか「箭」 だとかいった武器に相応しい、猛々しさを思わせる雰囲気が希薄です。
むしろ新らしい生産技術や文化等を持ってこの地に渡来し、先住民と平和裡に共存したということではむしろ正反対の印象すら受けます。
「腫物」(でんぱ)の神様の由来となった「石切劔箭」という名称が、公式に祭神としている神々の性格に極めてそぐわぬものがあることにも、兼てから疑問を感じていました。この点においても、真実の祭神が長髓彦であったということになれば矛盾がなくなり、疑問もすべて氷解して行きます。
考えてみると此処はまさしく神武東征伝承が語る「孔舎衙坂」(くさかのさか)と呼ばれた古戦場の舞台そのも のだった訳です。戦いの規模がどの程度のものだったかは知る由もありません。しかし悠久の平和の中にゆっくりと時が流れていた河内の入り海のクサカの浜辺に、突如として神武東征軍という、無法な武力侵略一本槍の戦斗集団が上陸し、孔舎衙坂と呼ばれていた草香山の各谷筋を越え大和を、それも登美(とみ)を目指して進撃を始めたのです。
この侵略に対して先住民エミシの世界を守るために「登美の長髓彦=ト、ミ、イ、シ、キる・ イ」という英雄が、イコ、マ山系一帯のエミシたちを糾合して防衛に起ち上ったと想像します。 戦いの結果神武東征軍は散々な敗北を喫し、神武の兄の「五ツ瀬」も重傷を負うという大打撃を 受けて、クサカのシラカタの浜辺の橋頭堡迄退却し、ついにはここからの侵略を断念して海上遠く、一旦は逃れて行ったことが記紀にかなり詳しく述べられております。
要するに神武東征軍の大和征服作戦の緒戦であったこの「孔舎衙坂」の戦いは、長髓彦が率ゐ る先住民防衛軍の大勝利に終わった訳で、ひょっとすると、この宮は無法な侵略者に対する長髓という先住民英雄の、輝かしい戦勝の記念として、古戦場を眼下に見下ろす景勝の地であり、饒速日降臨の河上の哮ケ峰とも云われる、神の住まうによき地相を持ったこの台地に、 戦さの象徴としての「劔と箭」をば先住民たちが祀ったことが、起源となったのかも知れません。
あるいはこのようにも考えられます。長髓彦たるイシキリの神を祀った者が縄文のエミシ達で なかったとしても、東征伝承が語る結末の通りに長髓彦の妹婿として共存関係にありながら最終的には長髓彦を裏切って殺害した上で神武に服属を申し出たという饒速日(一説では当時既に饒速日は亡くなっていて長子の可美手(うましまで)乃至その子孫がこのことを行なったともいう)が、自分が(もしくは祖先の饒速日が)かつて天磐船に乗って降臨したという因縁の深い河上の哮ケ峰(たけるがみね)の地に、 自分の手にかけて殺害した長髓彦、則ち「イシキリ」の鎮魂のために、長髓彦の形見の劔と箭をの宮の神体として祀り、その怨念への恐怖から免れようとしたのかも知れません。
いずれにせよ、先住民エミシの英雄であり、武勇の誉れが高かった長髓彦イシキリを奉祀した のがこの神社の起源だったとすれば、「劔」と「箭」という当時の戦闘の主要武器そのものをわざわざ神社の名称に冠したということにも十分納得が行く訳です。
解説したエミシ語が伝える通り、「石切劔箭神社」を「長髓彦なるイ、シ、キリの劔と箭の神社」と解釈することがすべてに無理がなく、最も自然なように思われて参ります。
(資料)
知里地名辞典
e ②第三人称主格。 ~-sapaha 〔イさパハ〕彼の頭。 ~-tanehe〔イたネへ〕それの種子。 ~-an〔イ あン〕それがある。彼(彼女)がいる。~-pon〔イぽン〕 それ(彼、彼女)が小さい(以上、 日高国サマニ方言から)。地名の中では、クマやヘビなど恐ろしい神の名を呼ぶのを憚って単にそれ とだけ言ってすますことも多い。~-ru-o-noy 〔イオナイ〕 それ(クマ)の足跡が群在する・沢。
~ot-i〔イおチ〕 それ(ヘビ)・群在する所(三六二頁i項) si①真の、本当の。~-chupka真東。~-chuppok真西。 ②大きな。~-apka大雄鹿。 ~-suma大石。(四 一六頁si項)
kiriきル1脚、足。2骨髄(三七一頁)
服部方言辞典
接頭イ・第三人称主格の記載なし。 kir(marrow) kiri (八雲、 沙流方言) 骨髄20頁一六八項。
cikiri(foot, leg)あし全体。一七頁一三六項
(leg and paw) 動物のあし。一八一頁十四項
B辞書 イ、 Ⅰ、此の字を実名詞の前に置くときは第三人称単数物主格となるなり。例えば、イポネグル 彼の子供。 Some times, when I is prefixed to nouns, it represents the third person singular posses
sive pronoun. “his” or “her” child. (一七五頁イⅠ項)
シ、Shi真なる、甚だ、大なる adj. true, very, great, main, chief as: Shi-no-wen-ruwe-ne, It is very bad. (四四六頁、 シShi項)
キリ、kiri脛、 脚n the legs. the feet. チキリ、 chikiri脚、足n. the legs. By same “the feet.” as:chikiri-asam, “the soles of the feet.”
知ってびっくり!古代日本史と縄文語の謎に迫る
大山 元/著 — きこ書房 — 2001.7 — 810.23
第2部 古代資料に残るアイヌ語で解けることども
【6.2 長髄彦と石切神社】 いしきり
さて、東大阪市にある石切神社には神武天皇の東征を助けた にぎ はやひのみこと 速日尊とともに、重要な人物が祭られている。 ご祭神は、
石切劔箭神社(いしきりつるぎゃ)●饒速日尊と可美真手命(うましまでのみこと)
登美霊社(とみ) 三屋姫(みかしきゃ)
石切祖靈殿石切大神
とある。 関係者を系図風に並べてみる。
●饒速日尊 ■ 可美真手命
● 三炊屋姫
(兄妹)
長髄彦
このうち、印をつけた3人までが系図上で同定できる。祭神 として名が見えないのは神武の東征軍に抵抗した首魁の長髄彦だ けである。それならば、残る「石切大神」とは 「長髄彦」のことではないか。
実は、「石切」i-si-kiri はアイヌ語で 「その長い・彼の足」の意味になる。いかにも神武天皇に敵対した 「長髄彦」の名前 いんぺいを隠蔽しながら、彼を祭っているような気にさせる。
諸 『アイヌ語辞典』 によるとi, si, kir (i) については次の訳語がある。
i:物事所、その、それが、、、へ)、やつ: 私に、 の)
si :本当に、主な、大きい、ぐっと、自分(で) : それ(の): 用例 : si-apka 大きい・雄鹿、
kir:足、骨髄:知っている 見覚えがある (kiri で彼の足・彼の 骨髄)
系図の検討とアイヌ語での「イシキリ」の意味の2つの点から、 石切大神とは長髄彦のことであろうと推定する。なお、「髄」と書いて「スネ」と読むのは現在では一般的では なく、スネは 「脛」 と書く。 しかし、『倭名類聚鈔』(わみょうるいじゅしょう)に「髄、 須 禰、骨中脂也」とあり、 髄をスネと読んだことが分かる。 だが、 この語の意味する所は「骨の中の脂であるというので骨髄のこ とである。 日本語である 「スネ」 が 「脛と骨髄」を意味し、 アイ ヌ語でkir が 「足と骨髄」 を意味するのは単なる符合であろうか。興味深いパラレルである。
(本項はインターネット上で1996/01/12に発表したものを加筆修正したものである)