1980年1月に二輪教習係へ異動。
以来11年にわたって二輪教習業務に携わりました。
法的には「指定自動車教習所」。
道路交通法第99条に規定されており、法の基準に適合したら本来各公安委員会で受ける技能試験を教習所の検定でOKとするよ、という制度です。なので結構お堅いお仕事でした。
指定の基準に、指定前の教習で教えた教習生に県の試験場での技能試験を受けさせ、初回合格率95%を達成する必要がありました。20人で19人合格ですよ!結構苦労しました。
1982年3月17日に晴れて三重県公安委員会指定「鈴鹿モーターサイクルスクール」は発足したのでした。
そのころ二輪専門指定教習所は全国でも数えるほどしかなく、空前のオートバイブームもあって忙しかったですね。
また、指導員になるための試験や教習に必要な知識を得るために学生時代より勉強しました。
その当時使っていた中型教習車両がホークⅡCB400T。二気筒エンジン、アップハンドルで教習車両としては適していましたが人気はいまいちだったようです。
下の写真は指定後技能教習中の写真で、青いゼッケンの教習生がホークⅡ、先導でボクが乗っているのはCB750Kです。
指定を取ってすぐに教習車両はCBX400Fに。下は教習生募集のチラシで、20代後半のボクと教習生モデルはその年の鈴鹿サーキットレースクイーンだったMMさんです。
指定前2年、技能・学科指導員として3年、技能検定員として6年で合計11年間の卒業者数は約15,000人。
当時、特に鈴鹿市内ではどこに行っても卒業生に会うわけで複雑な感じでした。
1989年4月には教習係の係長と副管理者に。管理者というのは法に適合した管理をする者で警察OBが天下りするのが普通です。その管理者の補佐です。
1991年2月にようやくお堅いお勤めから解放され、交通教育センター業務全般を担う比較的自由な役職へ異動になったのでした。
その後2003年に交通教育センター所長になったのですが教習所の設置者(経営責任者という立場です)も兼任したので、指定教習所の一通りの仕事を経験させてもらいました。
残念ながらこの二輪教習所は2009年9月で営業を終了してしまいました。